スポンサーリンク



お供え物の熨斗(のし)の種類と書き方

弔事のお供えをするときに百貨店や特定の店舗ではのし紙やのし袋などいかがされますか?など聞かれることがあるかと思いますが、実は弔事では熨斗(のし)がついたのし紙やのし袋は使わないという事を知っていますか?

現在では一般的にのし紙、のし袋と言えば慶事、弔事両方ののし紙、のし袋を指し、冠婚葬祭の商品などを扱う場所などでも普通にのし紙、のし袋を下さいと言えば「どのような用途でお使いですか?」と聞いてくれることでしょう。本来は通常の贈り物とお供え物では、のし紙やのし袋の呼び方にはそれぞれ違う呼び名などがあります。今回はそんなお供えに関する通常の贈り物の熨斗や水引などの関係を簡単にわかりやすくまとめてご紹介したいと思います。

熨斗(のし)とは?

熨斗紙やのし袋の右上に小さく六角形でカラフルなマークもしくは飾りの事を言います。その飾りのルーツは「熨斗鮑(のしあわび)」から来たと言われており、その六角形のマーク(飾り)を良く見ると、黄色の長方形のものが包まれているようなかたちになっていると思いますが、それがここでいう「熨斗鮑」です。鮑の肉を薄く削ぎ、干して生乾きになったところを竹筒などで押して伸ばし、水洗いしてからまた更に乾燥させ押し伸ばす、という事を何度も繰り返して調製したものを「熨斗鮑」と呼んでいました。

その製法もさることながら、鮑はその昔、長寿をもたらす食べ物とされていたため、とても格式の高い縁起物と扱われていたため、神饌(しんせん)として神様に供えられていました。

現在でも伊勢神宮には古来の製法で調製された熨斗鮑が6月と12月の月次祭(つきなみさい)10月の神嘗祭(かんなめさい)で奉納されている他、縁起物、価値の高い神饌として熨斗鮑包みで包み、贈進されています。

熨斗鮑とのし紙・袋の関係

この熨斗鮑が付いたのし紙・袋は一般的には慶事の時の贈進物に使われます。ちょっと意外ですが、現在使われている熨斗紙の右上にある熨斗鮑(熨斗)には礼法的な意味は全くないそうです。

もともとは室町時代より約600年の歴史を持つ日本伝統文化の折形礼法(現在の折紙の源流)の一つ、熨斗鮑包みが戦後、当初の目的を失い、デパートが大量販売するために物を包んで渡す「折形」を無視し、祝儀包みではなく礼法にない「祝儀袋」等の表面に意味もなく熨斗を印刷し、 縁起がよさそうと形骸化された飾りとなってしまっているようです。水引までもセットで印刷されてしまっていますが、 デザイン先行で、礼法的な意味や、元来の熨斗の意味、熨斗包みの形状、熨斗包みの色合わせ、水引の本数、水引の色すべてが簡略化されてしまっていると言っても過言ではないようです。

ただ、現在ではこのデパート式なるものが一般化していますので、昔のように手作りでとまではいかなくとも、この新しい習わしもしっかりと頭に入れておくと何かの役立つかもしれませんね。

お供えと熨斗の関係

上記の内容をおさらいすると、「熨斗=熨斗鮑」は縁起が良いときに使われる慶事であり、一般的なお仏壇などへのお供えの際には熨斗(熨斗鮑)はついていないのし紙や袋を使います。

このお供えにつける紙を「掛け紙」と言い、熨斗がない結び切りの水引を使ったもので、お金を入れる袋の事を「不祝儀袋」、「香典袋」などと言います。不祝儀とは言葉の通り祝儀ではないという事です。ただし、現在ではこの「掛け紙」や「不祝儀袋」の事を総合的にのし紙やのし袋という事が一般的で、デパートなどでお供え物を購入すると、「のしはいかがいたしますか?」などと聞かれますので「お供えで使います」と言うと熨斗(熨斗鮑)のない、結び切りの水引が黒白または双銀、地域によっては黄白の掛け紙をかけてもらえます。慶事の際は用途により、熨斗ありで紅白の蝶結びや結び切りの水引の掛け紙をかけてもらいます。

お供えの持つ意味

お供えは信仰或いは崇拝する神様や仏様、またはご先祖様、故人の霊などに捧げるものの事で供物(くもつ)とも言います。お供え物に関する解釈は様々ですが、私たち人間と超自然的な存在の神様や仏様などとは、相互扶助関係(そうごふじょ)的な面があると考えられている面もあり、現に私たちは神社へ祈願などに行くときなどは感謝のお供えとして「初穂料」などのお供えをします。

七五三祈願であれば「今まで健康に成長し、今日という日が迎えられてありがとうございます。これからもどうぞ健やかに成長できますように」という感謝のお供えです。そうすることにより神様へこれからも健やかに成長できるようという願いが届くようです。お願いだけをするのではなく、感謝の気持ちとお願い事を具体的に固定した形でお願いすると神様へ届きやすいと言われているようです。

最後に、

日本には昔から素晴らしい習わしが沢山あります。その習わしには一つ一つ意味があり現代の私たちには、なんでこんなことをするの?と思う事もあると思います。しかし、昔の人々には見えない「神」などへの敬う気持ちや感謝の気持ち、その「心」を大切にする知恵などがあったと思います。

この昔の素晴らしい習わしを受け継いでいく事が大切だと思いますが、現在は核家族化なども進んでおり、昔の素晴らしい習わしを受け継いでくれる関係が崩れていたり、時間に追われる日々を過ごしており、合理化社会の中で生活している我々にとっては形だけで十分などと考える人が多くなっていると思いますが、もう一度立ち止まって大切に受け継いでいく事の意味を考えなければならないのではないでしょうか。

スポンサーリンク