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忌中引きの法要とは?どんなことをする?

地域によってはあまり聞きなれない言葉かもしれませんが、忌中(一般的には四十九日の忌明けまで)の間にはお通夜や葬儀、火葬に骨上げ、初七日法要など様々な行事が行われます。そして四十九日法要を繰り上げて葬儀を行うことを日中引きといい、ここではこの忌中引きとはどのような法要であるか、忌中引きの法要が行われる流れなどをご紹介したいと思います。

忌中引きとは?

本来、葬儀・火葬終了後に故人の成仏を願って四十九日まで七日ごとに行われる追善供養の法要がありますが、忌中引きとは、火葬をして骨上げをした遺骨に対する還骨法要(かんこつほうよう)と追善供養である初七日、三十五日、四十九日法要を繰り上げて、葬儀の当日に済ませてしまう事を言います。通常は告別式、火葬、骨上げが終了し、火葬場から斎場などに戻ってから行われることが多く、法要終了後に忌中引き料理(精進落とし)などの会食の場を設けることが一般的です。

骨上げとは?

骨上げとは、火葬を行った後に箸で遺骨を拾い、骨壺に納めることです。地域によっても違いがありますが、昔は一人が箸で持ったご遺骨を順に次の人に渡していく形だったところもあるようです。二人でするようになったのは故人の霊が一人の人につくのを恐れるということと、故人の死を共に悲しむため、故人が三途の川を渡り、無事あの世へ渡れるように“橋渡し”をするなどのいいつたえもあり、地方などによりそのいい伝えは様々です。遺骨を拾う順番は一般的には喪主をはじめ、血のつながりの深い順からとされています。

還骨法要(かんこつほうよう)ってどんなことするの?

以前は火葬が終わった後に自宅の後飾り壇に遺骨を安置して行う法要で、後飾り壇には位牌、遺影、遺骨などを置いて、僧侶による読経をしていただきお焼香をすることでした。現在では七日後に再び親族に集まっていただき初七日法要を行うのは難しいため、葬儀当日に初七日法要を兼ねて行うケースが増えています。ここでご紹介している忌中引きでは四十九日の法要も兼ねて行われます。その後は皆さん場所を斎場やお食事処などへ移したりして会食の席(精進落としなど)が設けられることが一般的となっています。

忌中引きの法要が行われるまでの流れ

葬儀・告別式 宗旨などにより葬儀の流れは異なることがあるかと思いますが、僧侶の入場、読経読経をしている間に焼香、弔辞、弔電、葬儀終了の挨拶がありその後は故人とのお別れとなります。「繰り込み法要」を行う場合は葬儀の式中に初七日法要の読経も行います。その後、出棺で火葬場へ移動します。

そして、火葬をしている間に初七日法要の読経をする場合は「繰り上げ法要」といい、どちらの方法で行うかは地域などにより異なることが多くなっていますが、「忌中引き」では火葬が終了した後に初七日及び四十九日法要を行います

火葬中に控室で皆さん休んでい頂き、簡単な昼食を取ります。

火葬終了後に骨上げを火葬場の係り員の指示に従い済ませ火葬場より斎場に移動します。

迎えた御遺骨は祭壇に安置され還骨(かんこつ)・忌中引き法要を行います。(初七日、四十九日の繰り上げ法要)

忌中引き法要が終了したのちは忌中払い・精進落としなどの会食(斎場の別の場所へ移動、または食事処などへ移動して会食)をする、または会食はしない場合はお持ち帰りの食事などを用意して解散となります。地域によっては忌中引きの引き出物などがあることがあるので、別途葬儀の香典とは別に忌中引きの香典を出す習慣があるところもあります。詳しくわからない場合は、親戚の方やその地域の風習に詳しい方などに相談してみると良いでしょう。北海道などでは忌中引きの法要は昔から一般的な儀式として行われていたため、別の地域での忌中引き法要などは習慣が変わってくるかもしれません。

ちなみに、忌中引きでの香典を別途持って行く場合は葬儀の香典の表書きは通常「御霊前」(浄土真宗のお場合は御仏前)としますが、忌中引き法要での表書きは「御仏前」とします。金額も一般的には会食や引き出物などの事を考慮して一人5,000円~10,000円が相場といわれています。もしも忌中引きの法要がある葬儀に参加される場合で相談できる方がいらっしゃらない場合は、葬儀の香典とは別に、別途「御仏前」で用意して周りの皆さんの行動をご覧になってから決定すると良いかもしれません。

最後に

北海道では昔から繰り上げ法要を行う事が一般的だったようです。なぜかというと、もともとは開拓地であったことから人々は毎日忙しくしていたため、七日毎に集まることは難しく中陰法要をまとめて行う習慣が広まり、葬儀自体も家という個体ではなく、町内会が仕切ってくれたりなどの相互扶助で香典に領収書が渡されるなどの特殊な例もあります。法要に関しては何回するとかではなくやはり回数が少なくなってしまったとしても、皆さんが一度にたくさん集まって、供養する内容に意義があるのかもしれません。

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